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「薬師川千晴:絵画碑 Obelisk picture」展覧会評Exhibition Info

Gallery PARC Art Competition 2014

「薬師川千晴:絵画碑 Obelisk picture」展示風景

碑文 − 絵画碑に寄せて

平田剛志(美術批評 / Gallery PARC Art Competition 2014 審査員)

 絵画に弓が放たれた。中世や戦国時代の話ではなく現代の話である。それも来場者のいたずらや破壊行為ではなく、作者自らによる行為として。時は展覧会開始の前日、完成した絵画が会場に運びこまれた後であった。薬師川千晴は弓矢を構え、絵画に向けて矢を放ったのである。
 なぜ薬師川は絵画に矢を射るのだろうか。まずは、射られた絵画を検証することから始めよう。展覧会の出品作品 6 点の内、矢が射られた作品は 3 点である。描画材は、土と顔料、テンペラを使用し、デカルコマニー【註1】の技法によってロールシャッハを思わせる左右対称、シンメトリーな画面が作られている。パネルの形態は、すべて不定形なシェイプト・キャンバスである。外縁部には甲殻類のように鋭角的、触角的な形象も見られ、土の独特なテクスチャーと合わせて呪術的な迫力がある。
 作品に近づくと、一枚のパネルと見えた絵画が複雑な構造により成立していることに気づく。その画面は、デカルコマニーによる 2 対の図像群がシンメトリカルになるようコラージュによって構成されているのである。さらに、パネルの縁には焦跡や炭化した部分があり、着彩・コラージュ後に部分的に焼かれていることが確認できる。まさに「絵画碑」の名の通り、平面でありながら物質性が強く現前化されているのである。

 では、なぜ《絵画碑》なのだろうか。薬師川のテキストを要約すれば、絵画とは、「作家が何を表現するかではなく、作り手が、そこに何を託すか」だという。そこで、絵画が見習うべき姿として挙げられるのがお墓(碑)である。お墓(碑)は死者の存在を現世に繋ぎとめる「形」(手段、技術)であり、人びとが亡き者へ花や祈り、想いを託す命あるもの
(用途)である。
絵画を「絵画碑」とした時、何を託すべきか。薬師川は、「時間」を託すという。その手段として用いるのが、歴史、時間、過去のものの集積物である「土」である。土による「絵画」は、時の碑であり「絵画碑」と名付けられる。そして絵画の完成後に「“持続”する時間を絵画碑に流し続ける」ために矢が射られるのである。絵画を時間の消費(死)ではなく、時間の持続として転生させるために。

 ここで、もうひとつの「絵画碑」として、中西夏之(1935-)の絵画を取り上げよう。なぜなら、中西は「絵画は時間を真向いから見、浴びるための、唯一の形式である」【註3】と書くように、時間の問題を絵画で考察し続けているからである。中西の絵画を見るとき、薬師川作品といくつかの共通性が明らかとなる。
 初期作《韻》シリーズ(1959~60 年)は、合板に砂を混ぜたペイントを塗布し、その上から T 字形の形象を黒のエアブラシと白の細筆で描いた作品である。ここでは、土ではなく砂が用いられていることに注意したい。続いて、《山頂の石蹴り》シリーズ(1969~1971年)では、デカルコマニーのように左右相称、同じ形態が描かれていることが確認できるだろう。中西は、ラルース百科事典のなかから cœur(心臓)の項で偶然見つけた「二つの正三角形に支えられたハートの描き方」を基本形に、正三角形を逆さにした図像を用いて、複雑な色彩の動き(身振り)による秘儀的、秘教的な形象を構築している。この《山頂の石蹴り》シリーズで現れた円弧の形象は、1970 年代後半の《弓形が触れて》では弓の弧型へと転成し、《arc》シリーズでは竹製の弓がキャンバスに取り付けられることになる。さらに弓の弧線は、長い柄の筆で描く「色や筆触がそれぞれに生命をもって揺動しているかのよう」【註3】な現在の作品へと至るのである。
 中西の絵画が象徴しているのは、砂や弓、長い柄の筆などの描画材を採用することによって、色彩や筆触の定着、定位を揺動、遠のかせ、遅延させる絵画といえよう。薬師川が
「絵画碑」と名付けたと同じく、中西は「いまだ名を持たぬ平面の前に永く佇ませる装置」【註4】として絵画に時間を託しているのではないだろうか。

 そもそも、なぜ弓でなければならなかったのだろうか。絵画墓(碑)ならば、花を手向け、手を合わせて祈ればいいのではないか。その理由として考えられるのが、弓術に見られる仮託の精神ではないだろうか。弓術とは、弓と矢をもって外的に何かを行なおうとすることではなく、自分自身を相手に内的に何かを果たそうとすることだという。「弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託に過ぎない。目的に至る道であって、目的そのものではない」【註5】のである。禅問答のようだが、弓と矢は手段であって、目的ではない。墓を石塔で作るのも目的ではなく手段であり、実際に墓碑の形状や材質は宗派や時代、地域によってさまざまである。本展の出品作品すべてに矢が射られてないのは、矢を射ることが目的ではないからである。だからこそ、何を表現するかではなく、何を託すのかが問われるのである。
 薬師川は初個展となる展覧会で絵画碑なる墓(碑)を立ち上げたことは象徴的である。その墓(碑)は死という終わりではなく、新たな命=活動の始まりである。私たちは絵画碑に込められた「あるべき姿の技術」を手放さないようにしたい。

 

【註1】デカルコマニー(décalcomanie:仏)とは、絵具を塗った2枚の紙を挟み込むことで、絵具が押しつぶされて広がり、偶発的な形態を得ることができる技法。フランス語の「décalguer(転写する)」に由来。

【註2】 中西夏之『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』筑摩書房、1989年、p.102
【註3】 深山孝彰「中西夏之 絵と、絵の姿形」深山孝彰・上山陽子編『中西夏之展 広さと近さ―絵の姿形』愛知県美術館・愛媛県美術館、2002年、p.34

【註4】 中西夏之『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』筑摩書房、1989年、p.19
【註5】オイゲン・ヘリゲル述『日本の弓術』柴田治三郎訳、岩波書店(岩波文庫)、1982年、p.16