
2012
「中屋敷智生:Big Day Coming」展示風景(右:《Big Day Coming》)
中屋敷 智生 《Big Day Coming 》
宮下 忠也(フリーランス・アートディレクター)
物音一つしない時の止まった大地と、その静寂を侵犯する色彩の洪水。中屋敷が私たちに見せるのは、ピュアで懐古的(ノスタルジック)、暴力的でポップな景観(ランドスケープ) だ。
そんな彼の特徴が最も良く表れているのが、展覧会タイトルにもなっている《Big Day Coming》だ。作品の舞台は、誰もが一度は見たことのある「どこか」。僕は、そこと似たような場所を確かに見たことがある。高速道路を走っていたときに、車窓から見た景色だっただろうか。それとも、外国の風景を撮った写真集をめくっていたときだったか。それとも、子供の頃に見たアニメの背景画に似ていたのかもしれない。特定の場所を示す痕跡の排除された、どこにでもありそうな、しかしどこでもないどこか。この名も無きランドスケープは、その匿名性故にぼんやりとした懐かしさを伴いながら、私たちの記憶の奥底に沈む原風景として広く共有されるだろう。
その静かな空を切り裂くように、激しい色彩が斜め右に向かって放出されている。それは虹のようでもあり、実際に見たことはないがテレビで目にしたオーロラのようでもある。はたまた、激しくほとばしり出る大地のエネルギーにも見える。
この空を引き裂く虹を描くため、彼が採用したのがポーリングという技法だ。床に水平に置いたキャンバスに、独自に配合した流動性の高いアクリル絵の具を流し込み、一昼夜乾燥させて独特のマーブル模様を作り出す。【註1】 このカラフルで
オールオーヴァーな色彩を生み出す技法に注目し、一連の作品をジャクソン・ポロックやモーリス・ルイスと結びつけることもできる。しかし、彼がこの手法で構築する世界は、抽象表現主義のアーティストたちの目指したものとは大きくかけ離れている。
中屋敷にとってのポーリングは、抽象表現主義のそれではなく、シュルレアリスムの画家マックス・エルンストが好んで用いた技法、フロッタージュやコラージュと同質のものとして解釈するべきなのだ。【註2】 それは不確定の形態から発想するための技、偶発的な効果が生み出すイメージの連鎖の手法である。
中屋敷は、これまで幾つもの変遷をたどりながら現在のスタイルへと辿り着いた。かつお、こんぶ、煮干といった出汁の材料や、牛肉、豚肉など食材を描いた時期、花の後ろ姿を描く《ANTENNA》と題された連作の制作、青空を熱心に描いていた
こともある。その道程は、傍から見ると散策的でとりとめなく見える。しかし、《Big Day Coming》へと到達したことで、今まさに一筋の軌跡を描き出そうとしている。背後から見た花の連作を描いていた2007年、彼は自身の作品について次のように語っている。
「その裏側からしか見えない花の絵に、鑑賞者はジレンマを感じ、意味を読み解こうとするかもしれません。しかしこの作品は、絵の内側にどのような意味があるのかを問題にしているわけではありません。絵の空間にかかわるわれわれの体験、記憶を問題にしています。」
この言葉から、中屋敷の散策的な創作活動が、今に至るひとつの壮大なコンセプトをめぐる様々な実験だったと位置づけることが出来る。そのコンセプトとは、作品を媒介とした私たち個々の記憶との交信だ。彼の作品は、鑑賞者を絵の中の世界 へと引き込む類のものではなく、私たち自身がそれぞれの内なる世界へと入り込むためのスイッチのようなものだと考えるべきなのだ。すべてを画家の手でコントロールできないポーリング技法を採用し、ゆらぎのある抽象的な色彩を描き出すことにも、これと同一の意図を読み解くことが出来る。空を引き裂く虹は、ロールシャッハ・テストで言うところのインクのしみなのだ。【註3】
【註1】ポーリング(Pouring)とは、床に置いた支持体に液状の絵の具を飛散させて描く手法のこと。絵の具を「流し込む(pour)」ようであることからこの名がつい
た。抽象表現主義の代表作家ジャクソン・ポロックの代名詞的技法。ただし、中屋敷は自身の技法をポーリングではなくドローピング(Drawing + Dripping)
と呼んでいる。
【註2】フロッタージュ(frottage)は、木や石、コインなど、表面がでこぼこした物の上に紙を置き、鉛筆などでこすることにより表面のテクスチャーを模様として
写し取る技法。制作者が完全にコントロールすることの難しい技法であり、写し取られた模様が何に見えるのか観る人によって様々に異なる。コラージュ
(collage)とは、フランス語の「糊付け」を意味する言葉で、様々に性質の異なる素材、文脈の違うイメージをひとつに貼り合わせる技法のこと。どちらも偶然
性の強い手法で、シュルレアリスムのアーティストたちが好んで用いた。
【註3】ロールシャッハ・テストは、スイスの精神科医ヘルマン・ロールシャッハによって考案された精神分析法。被験者にインクのしみを見せ、それから何を想像
するかによってそこに投影されている被験者の傾向や衝動を読み取ろうとした。